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好感にはほど遠い、iPad Proの違和感【opinions】

 

iPad Proに感じる、違和感

iPad Proが発売されてから早くも2カ月近く経ちました。世間ではiPad ProかSurface Pro 4かを比較する記事が溢れるばかりで、具体的な導入事例は残念ながら見当たりません。導入を考えているという声も聞こえてきません。iPadがビジネス現場に浸透するまでに要した時間を考えると気が急いていると言われるかもしれませんが、Appleからもリセラーさんからも不思議なくらいiPad Proに対する期待感や熱量を感じません。

世に出たはいいものの、関係者が皆揃ってこの「薄く。軽く。壮大。」なデバイスをどう扱ってよいか悩んでいるようにも見えます。実は私も1カ月あまりの期間にわたりiPad Proを使ってみましたが、好感を持てずにいます。というのも、Appleが発しているメッセージと実際にできることとの違いがあまりに大きく、iPad Proの行く末が心配になっているからです。

信じがたいティム・クックの言葉

CEOのティム・クックは「なぜ今さらPCを買うのか、と思う。いや、真面目な話、どうして買うのだろう?」と、iPad Proが(Windowsマシンという意味の)PCを置き換えうることを示唆して言ったとされていますが、果たしてそうでしょうか。

置き換えにはならない!と書いたのが本連載の前々回でした。実際、iPad Proを少し使ってみるだけで、それは確信に変わりました。やはり置き換えは不可。そして、そもそも置き換える必要があるのかという疑問。果たしてこのまま進化して、本当にポストPCとしてiPad Proが君臨する時代は来るのか。

確かに、Smart Keyboardを使えばSurfaceよろしくノートPCのように長文を打てます。ショートカットもうまく機能しており、[ctrl]キー+[F]キーや[ctrl]キー+[A]キーなどで次の文字や行頭に移動するなど、細かいつくり込みも感じられます。「Split View」機能で2つのアプリを同時に見ることもできますし、[command]キー+[tab]キー でアプリが切り替わる様子はまさにデスクトップOSそのものです。

しかし、実務をこなすPCとして見るとまったくの役不足。例えば、弊社では月末の請求処理という基本の作業ですらiPad Proで行うことはできません。弊社のある取引先では、(1)請求用データを規定の形式でCSVファイルとして作成し、(2)VPNソフトで特別に用意されたシステムに接続し、(3)そのファイルをアップロードするという作業が必要になりますが、これをiPad Proで置き換えることは到底できません。

また弊社では、見積書は企業ごとに表計算ソフトでファイルを作成/更新し、ファイル共有システムを使って社内で共有しています。担当が当該ファイルを都度編集し、PDF化して同一フォルダに保管というルールです。OS Xを使っていますが、Windowsで同じようなことをしている企業は多くいらっしゃいます。この作業も先の例と同様にiPad Proで置き換えることはできません。

おそらく大半の業務がiPad Proで置き換え不可でしょう。その理由は簡単です。

デスクトップOSとiOSの違い。置き換えと市場創造の違い

そもそも、iOSとPCのWindows(またはMacのOS X)には構造上の大きな違いがあることを忘れてはいけません。そして、その構造を前提に既存の業務や作業ルーティンが築かれていることも...です。

WindowsやOS Xは「ファイルを中心に据え、その作成と編集を複数のソフトウェアが担う」という関係性にあるOS。対してiOSは「データを中心に据え、ファイルという概念はアプリの中に閉じ込める」という考え方のOS。根本的に思想が異なるのです。

ファイルの受け渡しを前提に築かれた既存作業を、ファイルを中心に置けないOS上で代替するには乗り越えるべき壁が多数あります。iPad Proにキーボードを付けたからOK、と言えるほど作業の置き換えは容易ではないのです。こうした実情をすっ飛ばしてポストPCを示唆する発言があったことが、関係者の熱量の低さにつながっているのではないでしょうか。置き換わるわけないよ、と。

我々が5年にわたりiPadに熱狂してきたのは、iPadがスマホ以上ノートパソコン未満という新しい市場を創造し、これまでITの恩恵を受けれなかった現場に新たなユーザー体験を届けることができたからです。そこにビジネスチャンスを見出していたのです。

Appleの強みは、これまでにない価値を提供することと、そしてその価値提供の周辺にエコシステムを醸成することであり、既存のものを置き換えることではなかったはずです。唯一「置き換え」に成功したプロダクトとしてiPodがありますが、格好良さ、インターフェイスの新しさ、簡単さ、大量の音楽が入ること、レーベルを巻き込んだこと、という万全の大包囲網で火蓋を切ったからこそ成功したのです。

それに比べると、iPad Proのユーザー体験はPCを置き換えると豪語できるほどには成熟しておらず、激しく見劣りしてしまいます。

訴求するポイントを間違った

Smart Keyboardを主要なオプションに位置づけたことは、戦略的に失敗だったと個人的には感じます。2in1というMicrosoftの戦略商品Surfaceと比較され、ポストPCを狙うデバイスというイメージを植え付けてしまいました。

Smart Keyboardでできることは、既存のBluetoothキーボードとほぼ変わらないのですから、それこそMagic Keyboard 2を推奨商品とし、せいぜいiPad Proを立てかけれるスタンドオプションを付ける程度でよかったのではないか。

iPad Proで訴求すべきは、iPadの体験をよりリッチにする大きなディスプレイ、Apple Pencilによる新たなユーザー体験、という2つのポイントだけで十分だったのではないでしょうか。そして、Apple Pencilを活用する事例や、大きなディスプレイを活用した事例を矢継ぎ早につくっていくべきだったと思います。iPhoneが登場した当初に業務活用の事例をいくつも揃えてきたように。

一方で、PCの置き換えを謳うなら iPad Proのハードウェアはそのままに、載せるOSをiOSではなくOS Xにすべきだったとも思います。キーボードやマウスを追加することを前提にしたMac miniやMac Proのような位置づけで、タブレット型Macシリーズとして、それこそMac Padとでも名づければよかったのです。最新のOS Xバージョン・El Capitanには全画面表示もSplit Viewもあって、OS XこそiPadの体験に近づいているのですから。

発売されてから少なからずiPad Proに関するお問い合わせを受けていますが、お客様の着目点はやはり大画面の見やすさとApple Pencilによる手描きの2点なのです。PCの置き換えなんてことに興味を持ってはいません。iPad Proの真価をお客様が教えてくれています。

執筆者

大石裕一氏/1975年大阪生まれ。大阪府立大学工学部卒業後、ソフト開発会社にエンジニアとして入社。6回の転職でWindows/MacLinux組み込み系、ネットワーク系の開発やマネージャ経験を経て、2006年株式会社フィードテイラーを設立。エンタープライズiOS分野を得意とし、安易な新規業務アプリ開発を否とする考えを持つ。自社で開発したクラウド型ファイル共有サービス「SYNCNEL」を海外含む約200社に提供中