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日本大学歯学部の取り組みに見るiPadを駆使した新しい医療教育【前編】【case study】

来年には創設100年を迎える日本大学歯学部。歯科医療分野に多数の人材を輩出している伝統ある学部だ。現在同学部では、iPadを用いた画期的な授業を実施し注目を集めている。歯学という高度な専門教育の現場で、スマートデバイスがどのように使われているのか。オリジナルのアプリなども含めて、話を聞いた。

BYODのスタイルでiPadを授業に導入

「iPadを導入したのは2013年の4月からです。全員ではなく、まずは1年生と2年生からスタートしました。とはいえ、1学年の学生数は128人なので、かなりの台数です」

そう語るのは、日本大学歯学部教授の磯川桂太郞氏。iPad導入に際しては、この磯川氏と現在海外留学中の助教の山崎洋介氏のふたりが中心的役割を果たした。この日本大学歯学部のiPad導入に関しては、ユニークな特徴がある。それは、学校が用意して学生に貸与するのではなく、学生が自ら購入するというスタイルをとっている点だ。いわば、学生版のBYOD(Bring Your Own Device)といえるだろう。

 01日本大学歯学部教授の磯川桂太郎氏。専門は組織発生・顕微形態。ITやデジタルに関しても詳しく、学部内のネットワークの立ち上げにも携わった

「自分で購入したものなら愛着もわくでしょうし、いつも持ち歩くという習慣もつくと思います。学校の備品だと、ロッカーに入れっ放しということにもなりかねません。今の時代、学生はパソコンだけでなく、iPadなどのスマートデバイスもどんどん使っていくべきです。それが先々、歯科医師になったときにも役立つと考えています」

学生が購入するものなので、もちろんアプリなどの制限はない。自分たちの個人情報や趣味のアプリなどもiPadに組み込む。その中に、授業で使用する教材やアプリなどを同居させるということだ。

具体的には、まず入学試験に合格した学生および保護者に依頼書を送るという。その中にはiPadの説明のほか、「読み、聴き、学び、考えることとそのための教材や情報が、学生としてのライフスタイルと共にいつも傍らにある、そうした環境作りを促したい」というメッセージが入っている。

「汎用性の高いものなので、授業のほかにも使えるでしょう。スケジュール管理や読書、もちろん音楽や映画を鑑賞することもできる。使い方は制限していません。むしろiPadの可能性を、存分に楽しんでもらいたいですね」

磯川氏が受け持っているのは組織発生学の授業。細胞などの形を扱う学問なので、以前からデジタルを使った図や映像による授業を希望していた。しかしノートパソコンだとサイズや予算に問題がある…。そんなときに磯川氏が出会ったのがiPadというわけだ。

「とうとうデジタルデバイスを授業に使える時代が到来した、と強く感じましたね」

 02日本大学歯学部山崎氏の授業風景。学生は全員iPadを持ち、必要に応じて参照しながら学習している

学校側への働きかけ。そして無線LANなどの整備

iPadを最初に導入するにあたっては、いろいろと苦労もあったという磯川氏。教職員にアンケートを採るなど、学校に働きかけるための活動を行ったそうだ。

「まず歯学部の学務委員会に、iPadの導入に関する提案を提出しました。同時に、利用に関するアンケートを先生方にお願いしています。『iPadを導入したら使いますか?』といったものですね。iPadのコストに見合うだけの活用法を明確にする必要があったわけです」

実際にアンケートを採った結果は、講義資料や教材に関してiPadを生かせるという教科が、1、2年生合わせて20弱程度だったという。例えば歯学部は実習が多い。以前は、その実習のマニュアルを印刷会社に発注して簡易製本したものを使用していたそうだ。しかしiPadがあれば、マニュアルをデジタル化できる。

「正直なところ、活用できそうな教科が思ったより少ないという結果でした。だがiPadは極めて汎用性が高いデバイスです。教科ごとの活用以外にも、例えばシラバス、時間割、試験の日程表などのデジタル化も含めることで、ゴーサインが出ました」

スマートデバイスを導入するに当たって、もう1つのネックとなったのは、インフラの整備。特に無線LANの環境だ。実は学内のネットワークに関しては、その時点ですでに構築されていた。磯川氏本人もその関係者の1人だったそうだ。

「もともとITやデジタルには、人一倍興味があったんです。ネットワークができた後、無線LANの導入も進めていました。しかしiPad導入によって1、2年生全員がアクセスするにあたり、大幅に増強しました」

iPadの活用方法その1ー標準アプリをベースにした使い方

それでは、日本大学歯学部は具体的にiPadをどのように使っているのか? 現在の様子を詳しく聞いてみた。磯川氏によると、多くの授業でのiPadの活用のスタートは、紙で配っていた資料やレジュメといったA4のプリントをデジタルで配布する、ということだったそうだ。

「最初は紙を単純にPDFに置き換えるというものでした。資料などのほか、実習の際の座席表やその日に使う顕微鏡の番号などもPDFで配布しています。変更があっても修正版を再配布すればいいので便利です」

ところで歯科医師は、手の技術が要求される職業だ。従って日本大学歯学部でも、手を動かす授業がいくつか用意されている。その1つが歯型彫刻の実習だ。実はここでもiPadは活用されている。

「これは、石膏棒の中から歯の形を削り出すという実習です。歯の形態を学習する手段として、昔から行われている作業ですね。われわれは学生の理解を助けるため、3D CGで作った模型をiPadで閲覧できるという教材を作りました。『バーチャルステップ模型』というものです。閲覧は『iBooks』で行います」

 03石膏を削りながら歯を形を削り出す歯型彫刻の実習。手本となるのはiPadに表示されたバーチャルステップ模型だ 

コンテンツのオーサリングは「iBooks Author」を利用。オブジェクトを回転させて歯の形状を360度確認できる。ちょうど歯の形を削り出すという作業を、バーチャルで体験できるわけだ。この教材をあらかじめ見ておくと、実際の歯型彫刻実習がスムーズに進むという。

「iPadを使った学習ツールとしては、『バーチャルスライド』というものもあります。スライドとは、薄く切った組織標本のプレパラートのことですね。従来は、顕微鏡で学生が1枚ずつが観察していたものです」

 04 2組織標本の顕微鏡写真を、iPadなどで閲覧できるバーチャルスライド。表示箇所の移動や拡大なども自由に行える

「バーチャルスライド」は、組織標本に染色したものをスキャンしてデータ化したもの。そのため、縮小・拡大や場所の移動が自由に行える。画像は1枚に見えるが、実は4000~5000枚の写真を組み合わせたものだ。いわゆるGoogleマップなどの表示方法と似ている。つまり拡大したり移動した場合に、その都度必要なデータを読み込んで、瞬時に画像を生成している。閲覧はWebブラウザー(Safari)で行う。

「このシステムには、その場にいる学生が、全員で同じものを見ることができる、というメリットがあります。たとえば特殊な症例の組織も、全員で観察できます。iPadなら画面キャプチャーも撮れるので、学生が見ていて、重要だと思ったところは画像で残せます」

バーチャルスライドは、教える磯川氏にとっても大きなメリットがある。指を差して説明したり、質問に答えたりといったことがスムーズに行えるのだ。

「顕微鏡だと難しいことが、iPadとバーチャルスライドで可能となりました。顕微鏡だと接眼レンズにスケールが入っていて、それを利用して『5番の文字のちょっと右上のところ』といった指示をするわけですが、なかなかわかりにくい。iPadによるバーチャルスライドなら『この部分』と的確に学生に伝えることができます

バーチャルスライドに関しては、実習室の大きなモニターで表示させることもあるそうだ。すると細胞の場所などを同定するために付箋を張ったり、みんなで話し合いながらの学習ができる。

「すべてをiPadで行おうとしているわけではありません。デバイスは使い分けが大切ですね」

既存のアプリをうまく活用することで、生徒の興味関心を深められ、さらには教員の負担も減らすことができる。後編でもiPadの活用方法を紹介するとともに、実際に学生たちに起こった変化などiPadによる効果について話を聞いていく。

 

執筆者

矢口和則(エディトル所属の編集者)/Macの専門誌の編集に携わったのち、書籍やムックなどの制作に関わる。最近では、Webメディア向けの記事の執筆や編集といった仕事が多い。