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進むか農業ICT、ある農家の証言【case study】

就農人口の減少と高齢化。それに伴う耕作放棄地の増加。これが日本の農業を巡る大きな課題となっている。ITの力を活用した農業ICTは、耕作放棄地の受け入れ農家にとって圃場管理の有効な手段ともなるが、現場はどう捉えているのか。ある農家に聞いた。

ある農家の転機

千葉県の横芝光町は、千葉県北東部に位置する人口約24000人程度の小さな町だ。ここに、高齢化の波に揉まれ、離農していく農家も多い中、海外からの研修生を含めて15人以上を雇用し、成長を続けている農家がある。この成長を支える秘密のひとつが、農業ICTを駆使することだった。

「グリーンギフト」は横芝光町の鈴木敏弘・紗依子夫妻が運営する農業法人だ。敏弘氏は今年30歳。20歳から家業を継いで農業を始め、当初は普通の農家と同じように農業を営んでいたが、今は特産の米とネギを中心に、ウェブ経由で農作物の直販を行っている。

グリーンギフトの鈴木敏弘氏

既存の流通を使わず、インターネット経由で消費者と直接取引きをするスタイルは、いかにもICTを駆使する先進的な若い農家の典型例といった感じだ。さぞや昔からパソコンなどのITに慣れ親しんでいたのかと思いきや、「パソコンは苦手」という。以前は家のパソコンでウェブサーフィンする程度で、農業に活用することは考えていなかったのだという。しかし転機が訪れるのは数年前、農業ショーにおいて「アグリノート」のデモンストレーションを見てからだ。

「5~6年前から人を雇って、高齢化や離農などの理由で耕作放棄された田んぼを借りて、耕作面積を広げてはじめたんです。でもあちこちに田んぼが点在していて、しかもどの田んぼが誰の家のものか、看板が出ているわけでもなくわかりづらいんです」(鈴木敏弘氏、以下発言同)。

グリーンギフトでは現在、約200もの圃場を管理している。しかも、管理する圃場は、自動車を走らせ、たどり着けるような場所も少なくない。これをすぐ覚えろというのは到底無理な話だ。

鈴木氏の管理するネギ畑。口頭での説明を受けるもどこまでが同氏の管理圃場なのかわからないほど広い

グリーンギフトの本社から自動車で15分ほど走った先にある、実際に耕作している畑を見せてもらった。「ここいら一帯がうちのネギ畑なんですよ。あそこから向こうは別の農家の畑。こっち側も違う」。そういって敏広氏が指差す先は、一面のネギ畑。地元民であれば見分けもつくのだろうが、素人眼にはどこも同じ畑にしか見えない。「うちはパートさんや海外からの農業研修生も受け入れていますから、経験の少ない人でもわかるような手段が欲しかったんです」。間違って他人の圃場を耕作してしまうのは論外。自分の圃場でも行程を飛ばしてしまう、あるいは繰り返すのはロスが大きいので、絶対に避けたい。そこで、当初は経験のある人とない人でグループを組ませるなどしていたという。

それが、今では一人で目的の圃場までいって、必要な作業を済ませられるように変わった。その秘密はどこにあるのだろうか。

アグリノートで作業効率が大幅にアップ

前述した「アグリノート」は、東京大学発の農業ベンチャー、ベジタリアのグループ会社のウォーターセルが開発・販売している農作業記録用のクラウドシステムだ。NTTドコモも販売に協力している。

同システムはGoogleマップやYahoo!地図の航空写真の上に圃場をマーキングし、マップ上に直接情報を書き込める。GPS情報があれば、現在位置と地図上の圃場を見比べられるので、圃場数が多い生産者でも視覚的に確認できる。また、入力フォームがシンプルで、作業記録を記入するのも容易だ。ウェブブラウザからの入力に加え、Android用アプリがあるので、PCのほかにAndroidタブレットが利用できる(今後iOSにも対応予定)。

タブレット上でネギ畑を示したところ。タブレット内の青丸が現在地。これによってどこが管理する畑かを見分けることができる

導入コストについても「月々の利用料金がほかのシステムと比べて安いのも魅力的でした。当時はお試しで無料期間があったというのもありますが、このくらいの額であれば、失敗しても飲みに行ったと思えば諦められますから」。

それまでは紙のノートに作業手順などを手書きをしていた敏弘氏だが、その頃は指示のニュアンスが農業経験者に対するものになっていたという。アグリノートの導入により、事前にタブレットに指示を入力しておいて渡すことができるようになり、文面も初心者へのわかりやすさを念頭に入れたものに変わってきた。アグリノートへのデータ入力は、先代である敏弘氏の父親が行うこともあるという。

従業員への作業指示などができるのがアグリノートの特徴

「現場ではAndroidタブレットを使うことにしました。最初は社員の中にも不安な声はありましたが、興味のある人から使ってもらおうと」。システムの導入と同時にソニーのXperia Z Tabletを購入し、入力用端末として社員に貸し出した。ちなみに防水防塵端末なので、泥などで汚れても水洗いできる点がお気に入りだとのこと。

タブレットを持っていくことで、現在位置を見ながら圃場にたどり着けるようになったため、これまで2人で向かっていたところが1人で済むようになった。また、不明な場合などはタブレットのカメラを使って写真付きでメールを送ってきて確認するようになったため、作業効率が大幅に向上した。

さらに、これまでは各自の実際の作業内容をおおまかにしか把握できていなかったものが、誰が何時間でどのくらい作業をしたのか、きちんと記録できるようになった。このため、給与計算の際に一人一人の頑張りを反映することができ、社員のモチベーション維持にも繋がっているという。

ほかにも次のようなメリットが見出せたという。「副作用的なものですが、うちが出荷した米が袋ごとに、誰がいつどこでどんな作業をしたのか、10分もあれば全部洗い出せます。いわゆるトレーサビリティというやつですね。また、農作物を輸出するための『GLOBAL G.A.P』や安全な農作物を作るための管理基準を示した『JGAP』といった認証制度があるのですが、これを取得するための記録やデータを日々の入力から自動的に生成してくれる機能があります。海外への輸出を考えている人はもちろんですが、自分の生産物に責任を持つという意味でもGAP対応は重要だと思います」。

ICTの効果は見えにくい

農業ICTのメリットを感じるグリーンギフト。その一方で農業ICTがキーワードになったのは近年のことであり、本格普及はこれからといったところだろう。普及に向けた課題として、アグリノートのような圃場管理ツールは直接生産性に影響するものではないため、外からはそのメリットがなかなか感じ取りにくいことがありそうだ。また、グリーンギフトのような農業法人はともかく、家族経営の農家では、情報のやり取りはわざわざデータ化せずとも口頭で済んでしまうし、記録を取っておく必要も感じにくい。

既存の農家は、なまじこれまでのノウハウがあるだけに、未知のICTに投資して失敗するリスクを恐れてしまうこともありうる。だがデータ化すれば、それだけ分析もしやすくなるだけでなく、農業経験の浅い人にノウハウを伝える際に客観的な説得力が増す。きちんと管理するならICTを導入したほうがトータルで見てお得になるが、そこまで農家側のマインドセットが辿りついていないのが現状なのかもしれない。農家側の意識改革も、今後の農業ICTが成功するうえでの重要なポイントだろう。

アグリノートの販売に関わっているNTTドコモでは、この他にもべジタリアと連携し、田んぼの水位センサーなどの農業向けICT製品を展開している。こうしたものに興味はあるかとの質問には「興味はあるけど、コスト面でのメリットがまだ小さいことと、盗難にあう恐れがあるのでなかなか手が出せない」とのこと。

水位管理は稲作の中でも非常に重要なポイントだけに効率化はしたいが、例えば通信費ひとつをとっても、まだインフラ側が整備されきっていない。ICTだからといって何でも導入するのではなく、必要性を見極めて導入する冷静さが求められているようだ。また提供する側も、インフラとして適切な価格設定などをしっかり定めておく必要がありそうだ。

 

Author:マイナビニュース